ふあんをFunに

心配性でも大丈夫!楽しく生きるため不安解消スキルをご紹介しています。ああ会社辞めたい、と思ったとき、休日なのに仕事が気になるとき、ちょっとこのブログを覗いてみてください。

凡人でやりたいこともなかった私が転職せずに天職を見つけた話

みなさーん、何度説明しても理解してくれない人に困ったことはありませんか?

そういう人との会話にうんざりして、仕事のやりがいを見失ったことは?

同僚、取引先、顧客、、、同じことを何度も聞いてくる人はどこにでもいますよね。

いままでは「それを我慢するのは生活、つまりお金のため」と思って仕事をしてきましたが、「実力も運のうち 能力主義は正義か?」(マイケル・サンデル著)を読んで「貢献的正義」「貢献の平等」という言葉を知り、考えが変わりました。

他のことはできないのに、事務だけが得意な私が、事務の仕事が多い社会に生まれ、事務の仕事を得られたのはなんとラッキーなんだろう、と気づいたのです。

突然良い人になって、仕事にネガティブな感情を抱かなくなったわけではありません。

ただ、なにか面倒があってもそれは天職の一部と思えるようになり、ストレスが激減しました。

「話が通じない人って迷惑だけど、お金のために耐えるしかない」と考えていた私にとってはかなりの変化。

また、いまの地味な仕事を天職と思えるようになってからは、人と比べることがなくなり、自分のできることに集中できるようになりました

学生時代からずっと、やりたいことが見つからない、夢のない人間だったのに。

天職って「受け入れる」ことなのかもしれません。

どういうことかご説明したく、よかったら続きを読んでください。

 

 

何度説明しても理解してくれない人たちに耐えるのが仕事?

管理部門である私の部署には、飲食店でもないのに「常連さん」がいます。

いつも同じ顔ぶれから、いつもの注文、、じゃなかった、いつも同じ問い合わせを受けます。

手続きの不備もいつも同じ。

こちらも頑張って、分かりやすいマニュアルやチェックリストを提供したりしているのですが、常連さん達はマニュアルの掲載場所を思い出せなかったり、説明のメールを削除していたり、やりとりそのものを忘れていたりと、なかなか効果がありません。

社内の事務手続きを正確にスムーズにできるようにするのが私の仕事とはいえ、困った常連さんとやりとりしていると「うー疲れる、、、この仕事にやりがいなんてない、、、」と思ってしまいます。

しかし他にできることがないし、特にやりたいことも夢もない、、。

生活のため、お給料をいただくためには、この迷惑に耐えなくてはいけない、仕事ってそういうものだと思っていました

 

能力主義が「貢献の平等」を奪うってどういうこと?

そして先日、「実力も運のうち 能力主義は正義か?」(マイケル・サンデル著)を読んだんです。

 不平等を解消するとされている能力主義は本当に正義なのか?、と問う内容。

アメリカの受験戦争がどれだけ不平等かという話も興味深かったですが、私がこの本で学んだもっとも大きなことは次の2つです。

  • 能力主義が不運な労働者から仕事と貢献の機会を奪っている、という考え方
  • 「貢献的正義」「貢献の平等」という言葉

受験が富裕層に有利という実態は別としても、なぜ能力主義が人々から仕事と貢献の機会を奪っているのか?

それは、社会で尊ばれる能力そのものが運に左右されているからです。

こんな例が紹介されていました。

有名なバスケットボール選手が高額の報酬が得られるのは、その人が適性を持つバスケットボールというスポーツが、現代で人気だから。

練習を重ねたことは彼の手柄ですが、彼がフレスコ画家が引っ張りだこだったルネサンス時代のフィレンツェではなく、バスケが人気の現代のアメリカに生まれたことは偶然ですよね。

能力主義はいっけん平等のようで、「現代の」仕事や試験に有利な一部の側面しか見ていません

いま能力がないと思われている人たちは、才能が時代や環境にマッチしてないだけかもしれないのですね。

しかし能力主義は平等なシステムであるという共通幻想から、不運な労働者本人さえも「人生がうまくいかないのは自分の能力がないからだ」と思ってしまいます。

仕事がないということは社会に貢献できる機会も奪われているので、彼らは二重に尊厳を傷つけられる、という意見に目を開かされました。

単に経済的に困窮させられるだけではないんですね。

どんな人でも平等に社会に貢献する機会があるべき、という考えが「貢献的正義」「貢献の平等」の意味だと、私なりに理解しました。

 

自ら貢献の機会を放棄しようとしていた非エリート(私)

ということは、、、

仕事を辞めれば「常連さん」から解放されストレスがなくなる!

そんなことばかり考えていた私は、自ら貢献の機会を放棄しようとしてたのかも?

そう思うようになりました。

本書では「いま成功してるエリートだって、生まれた時代など本人の努力以外の運に依るところが大きいと気づいて、謙虚になって」と繰り返し語られています。

しかしこのことは、エリートだけでなく私のような凡人にも当てはまると思いました。

私は運動もできないし特別な才能もないし、会社の中でも新商品を開発したり、お客様にセールスしたりする能力はありません。

それでも書類を整理したり手続きしたりする能力だけは、どうにか備えています。

そんな自分が身体能力がや他の才能が優先される時代ではなく、簡単なデスクワークで収入を得られる社会に生まれたことは、とても幸運なことだと気づきました。

私が「たまたま」事務が得意であるように、常連さんたちは「たまたま」事務が不得意なだけで、才能は他のところにある。

だったらラッキーにも事務な私が、不得意な人を補佐するのは自然なことだと思い始めたんです。

 

やりたいことがない凡人にとって天職とは何だ?

子どもの頃からずっと、やりたい仕事や憧れの職業を見つけられずにきました。

私にとって、天職とか好きなことを仕事にする。ってこんなイメージです。

  • 人が好きなので営業職、接客業に
  • 音楽が好きで、音楽業界で働いている
  • 誰かの役に立ちたくて看護師(警察官、介護職なども)になった

天職には、特別な才能か、自分の好きなことが明確か、のどちらかが必要だけど、自分にはどちらもない、、、と悩んでいました。

何度か転職していますが、ずっと間接部門の事務職。

社会の役に立っているというダイレクトな手応えも薄いし、事務が好き!と思ったこともありません。

なんとなく仕事を続けていて、少し嫌なことがあるとすぐに「会社辞めたい」と口走る、、ずっとそんな感じで働いてきました。

しかし適性を活かせる仕事に出会えるかどうかが運(=天)に左右されると知ってからは、得意が発揮できるならどんな地味な仕事でも"天"職と呼んでいいのかも、と天職のイメージ念が変わりました

そして、自分の超超超ささやかな能力で人の役に立つことが、この幸運の恩返しになるのかな、と考えるようになりました。

 

天職って「受け入れる」こと?

こう書くと、悟って、仕事にネガティブな感情をもたなくなったみたいですが、残念ながらそうではありません

「常連さん」に対しては「うう、、それ前も説明したよね?」と今でも面倒に思ってしまいます。

これまでとの違いは、その面倒にいちいち怒るか、納得しているか、です

以前は、面倒なことに遭遇するたび「この人がちゃんと覚えていれば、私の仕事がもっと楽だったのに」と毎回腹を立てていました。

しかし今は、面倒は私の得意の範囲内のものとして、感情を乱さず対処できるようになったのです。

たとえば、料理上手な人が食堂を営んでいるとします。

その人の得意はお料理だったとしても、店の掃除、困ったお客さんの対応、税務申告など、他の仕事もしなければなりませんよね。

「料理が天職だから料理以外しません」と言っていては、人に提供して才能を活かすことができません。

(すごく努力をしてスターシェフになれば可能かもしれないけど、そこにたどり着くまでは料理以外の仕事もあるはず)

面倒というのは天職の一部なんだ、と納得したのです。

諦めるとか我慢するというのともちょっと違って、「受け入れた」という言葉がぴったりかも。

また、シェフのやりがいはお客様が「美味しい」と笑顔になることですが、事務職員の喜びは仕事が片付いたスッキリ感、予定通り物事が進んだ快感

地味だし、他の人にとっては取るに足らないことだけど、「そんなの天職じゃない」とはもう思いません。

心配性の私は安心や予定通りが得意で大好きなんです。

天職の固定概念から離れられて、人と比べることもなくなりました。

自分だけの喜びを見つけたという意味でも「天職って受け入れることなんだなぁ」と実感しています。

 

今の仕事を天職として受け入れたらストレスが激減

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当然ながらストレスはすごーく減りました。

困った常連さんたちにいちいち怒らなくなったことの他に、私って性格悪いなぁ」と自己嫌悪に陥ることが少なくなったことも大きいです。 

それから、自分の力不足を責めることも少なくなりました。

以前は「面倒やトラブルはあってはならないこと」だったので、それを撲滅できずに不安が残っていました。

しかし、自分の力量を受け入れ、その範囲内でやれることをするのが恩返し、と思うようになったので、できもしない完璧主義から脱して、自分ができることに集中できるようになりました。

たとえば、あるスタッフからチームのコロナ対応について問いただされたとき。

以前は、止められない会社の業務と出社したくないスタッフの板挟みになって、解決できない自分を責めていました。

しかし経済を止めずにパーフェクトな感染対策をする、というのは、優秀な官僚にもまだ難しい問題です。

私の得意はそこにはないし、自分に与えられた能力で人の役に立てばいいのです。

じゃあ自分できることは?と考え、自分のスタッフの話をじっくり聞き、不安に寄り添うことだ思い至りました。

話を聞いた結果、そのスタッフの提案を取り入れた仕事のやり方を試すことにしたら、また安心して仕事に取り組めるようになったと言ってもらえました。

スーパー上司じゃなくたっていいんだ!

もし天職とは何か特別なものだと思い込み、自分ができることに気づかないままだったら、スタッフの不安は減らずに事態が悪化して、私は自分を責め続けていたかもしれません。

 

まとめ:青い鳥はホントにすぐそばに居たかも

今回の「不安をFunに」する気づきは

  • 得意を活かせる職業に就けるかは、時代など「運=天」に左右される
  • だから得意なことを活かせる仕事はぜんぶ「天職」。特別な才能や夢がなくたっていい
  • 自分の能力や仕事を天職と受け入れたらストレスが激減

でした。

私が見つけた天職は、若いころ思い描いていたイメージとは違いましたが、いつまでも「コレジャナイ」と苦しむよりぜんぜんよかったかも

「青い鳥」って本当に身近にいるものなんですね。

困った常連さんのことを美しい青い鳥と思えるほどには悟れていませんが、そもそもチルチルとミチルが見つけた「青い鳥」はふつーの鳩さんだったらしいですよ。

やりたいことが見つからなくても大丈夫!

転職しなくても夢がなくても、ちょっとしたきっかけで見方が変われれば、天職が見つかるかも。

マイケル・サンデル先生の本など読みつつ、なんだかんだ楽しく生きていきましょうね。

 

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